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原監督の思い出

 そういえば、数日前、斜め前の家に泥棒が入ったそうだ。おまわりさんから説明を受けた。そこの家だけ防犯カメラとかなかったし、犬も飼っていなかった。
 防犯用の催涙ガスは車と家用を買ってある。スタンガンも買っておいたほうがいいのかなぁ。
 まわりの人に聞くと、催涙ガスを常備している人が多く、携帯スタンガンをもっている人もいるにはいる。でも、夫婦ケンカのときつい夫に使ってしまいそうになるから、普段は手が届かないところにしまってあるそうだ。

 いやはや、ぶっそうな世の中になりましたこと。
 
 スポーツ新聞も前は選手の結婚式とか、オフ情報として日程を細かく載せていたのだが、載せると泥棒さんが入る入る。近鉄の西本監督の家なんか、何回入ったかな。近鉄の選手が結婚するとなれば、監督が奥さんと一緒に出席しないわけがない。
 
 野茂英雄が最初にスポニチと大げんかしたのは、新居の間取りをイラスト入りで掲載されてしまったから。
 あれは「シーズン中は嫁さんだけが留守番しているかもしれないんですよ。間取りなんか書かれて、強盗でも入ったらどうするんですか!」とあとあとまで怒っていた。

 私もある時期から時間差でブログには出張のことを書くようになった。

今現在のことは別なところで書くので、宮崎の思いでを少し。はじめてこの地を訪れたのは、22歳の2月。1か月前に東亜燃料を退社したばかり、前年の3月に実践短大を卒業したばかり。社会人としてのも常識も、ライターのとしてのノウハウもあるわけなかった。

 子供のために書き残しておくけど、私は出版社勤めとかの経験がない。
 星野仙一投手のファンで、短大のときミニコミ紙の「星野新聞」をつくっていて、当の星野さんから電話がかかってきた。当時「サンデースポーツ」という番組でキャスターをやっていて、「遊びにきなさい」といわれ、スタッフの皆さんとか、紹介していただいた。
 そのミニコミ紙の連載していた小説「勝利投手」が、短大を卒業して半年め、文芸賞にノミネートされた。
 まもなく星野さんが中日ドラゴンズの監督に就任し、予言小説みたいに言われ、「勝利投手」は売れ、東映アニメにもなった。私には本や雑誌に原稿を書く仕事がいっぱいきて、紆余曲折があり、今日に至っているわけ。to make a long story shortとはこのことやね。
  
 いきなり仕事として、はじめてプロ野球のキャンプめぐり。あわてて作った名刺をはじめて渡した第一号が、原辰徳選手だった。東京中日スポーツの企画でインタビュー記事を書くことになり、ビギナーの私でも取材しやすい選手ということで原になった。なんでも原の妹が私に似ていたらしい。
 あれから22年がすぎたというのに、肩書きが選手から監督になっただけで、原さん、まったく顔が変わっていないんだもの。男にしておくのがもったいないぐらいだ。

でも、私は知っている。彼が新聞をめくりながら「”音楽のたべ”ってなんだろうね?」と読んでいたのを。それを言うなら、「音楽の夕べ」。


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