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花粉症など

 「タイム・パッセージ」が数冊このブログをとおして売れたみたいで、うれしいです。1円だから別に私に儲けはないけど。でも、すごくいい本だと思ったから本当にうれしい。あの本、なぜか腰帯が海部総理大臣。(笑)。
 それとやっぱり「PASSION」は手に入りにくくなっているそうだ。知子さんがアマゾンから注文したけど、「待ち」が入ったとか。重版ができるのを待たれたし。

  先日少しだけ鳩山由紀夫氏をほめてしまったが、あれは間違いだった。
「政権交代が最大の景気対策」とか、「国民が解散総選挙を望んでいる」とか、なんだそりゃー。ピントずれもいいとこ。少なくとも私のまわりで、選挙を望んでいる人間なんていない。望んでいるのは「景気対策」。

 ころころ大臣ばかり変えてどうするんだか。

 前にも書いたが、私が米国に拠点を移した1990年は景気が最悪だった。
 評論家に転身した鈴木孝政さん、ジャンボ仲根さんとNYのマンハッタンを歩いていて、「香子、どうしてニューヨークって廃車ばかり町中に並んでいるんだ?」「それは廃車じゃなくて、現役だからです!」

 そんな中、スポーツ産業だけは元気だった。NBAのドリームチームがバルセロナ五輪を沸かし、商業的に成功をおさめただけではなく、メンタルな意味でどれほど国民は励まされたことか。
 だいたいプロスポーツが次々となくなってしまったら、選手だけではなく、球団に関係した仕事人が失業し、夢や希望を失った子供たちがエネルギーをいったいどこにぶつけるのか?
 そのへんのことはまた日をあらためて、メールマガジンのほうに書くつもり。

 いきなり小市民的な話になるけど、長女は日本のコーチと話して、かなり元気を取り戻した。「あ、そう、やめたいならやめれば?」とは言われず、ひきとめられたことがうれしかったみたい。
 考えてみると、擦り減ったブレードを新しいもの(パターン99)に変えたのが先週のこと。ジャンプもまったく飛べないわけではなく、ショートでは入るけど、フリーではときどきポップしてしまうのが、悩みなんだとか。

 去年の夏の災難とか、まったくダブルアクセルが崩れたときの悩みと比べたら、大したことではないような気もするのだが、やっぱりティーンエイジャーって多感なのね。
 正直そう才能があるとは思えないのだが、がんばっているのだから、親としてバックアップしてあげるつもり。

 ちなみに私の今の悩みは花粉症。薬があと3日分しかないけど、なかなか耳鼻科に行く時間がつくれない。

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続編刊行(予定)

 今週はポカミスを2回。けっこう落ち込んでいます。どよーん。
 私の場合、なんてのかな。人がよくそれで平気でいられるね、ということに対してはわりと神経がずぶといのだが。妨害されたり、いじわるされたりすると、ぐっと火がついてやる気満々になっちゃう。

 もっと違うことで落ち込む。なんかこう、繊細かつ精密なポカミスのほうが、心臓のあたりをえぐる感じ。車を運転しながら、「ばかやろー」と自分に向かってつぶやいてみたり。本当に馬鹿なんだもん。

 先方は「いいです、いいです」と言ってくれたが、やはりプロとしてやってはいけないミス。ラジオは怖いわ。しっかり下調べしているつもりでも、なかなか納得のいく結果がでない。

 もう1件も。うーん。大事には至らなかったが、やっぱり気をぬかないようにしないとね。まだまだだめですね、自分は。

 中庭健介選手のメインのコーチ、石原美和先生は4分の1、ロシア人の血が入っているせいか、娘たちも姪っこたちもなかなかの美女ぞろい。
 
 2年前だったか、山口県徳山市までお墓参りにいったとき、叔父さんの家についてすぐ居間のテレビで、成人式の着物の宣伝CMが流れていた。振袖を着たフィギュアスケーターがすっと滑ってくるものだが、美和先生の姪のゆきえちゃんに似ているなぁ、と思ったら、当のゆきえちゃんだった。

 「フィギュアスケートの魔力」で共著の今川知子さんはすごく古いつきあいで、彼女は車で移動するときいつも知子さんの膝に座っていたとか。

 それはさておいて、当のゆきえちゃんとお茶をしながらアメリカのスケート事情なんかを話していたら、「その話、知子おねえさんの書いた本にでていた話をそっくりです」と言われた。長女はにやっと笑って、「うちのママ、梅田香子って言うんだよ」と言ったら、ゆきえちゃんは本当にびっくりしたらしく、「え!あの本を書いた人なの!?」
 昨日今日の出会いではなく、健ちゃんをインタビューしているのも知っていたが、まったく気がつかなかったそうだ。

 リンクでママ友だちに「こんなことがあった」と話したら、「え、あの本を読んだけど、書いたの!?」と驚かれた。ちょっとなごんだ。

 こういうのはまだいいほうで、子供の学校友だちは何かというと、「うちは子供が2人いるから、そんな手のかかった料理(ポトフが?)はできない」とか、「私はフルタイムの仕事をもっているから、料理なんかするわけないでしょ」とか言う。
 
 私って子供がいない専業主婦に見えるのかな?

 新書は軽いし、値段も手ごろなので、自分でもときどき10冊単位で買う。名刺やしょっとした謝礼の代わりにあげてしまうのだ。ハードカバーを持ち歩くと、肩がこる。


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マイ・ブーム

 リンクはるのとか 面倒だし、きりがないから、本以外はアフリエイトやりません。

 宮崎県といえば、読売巨人軍のキャンプ地であり、WBCの代表強化合宿。私にとってはそれがすべてで、他にはとくに印象なし。

 食べ物はおいしく、「チキン南蛮」はやはりおすすめ。九州は全域にわたって、鳥肉がおいしいようです。
 
 あと宮崎らーめんもおいしかったわ。

 それとどうも最近はノンオイルドレッシングの開発に力を入れている?

 おととしから、はまったのがこれ。「空飛ぶ玉ねぎドレッシング’’ 宮崎延岡発 」。
 サラダも豆腐もこれをかけると、高級料理に変貌する。
 
 さらにはまったのは、これ。「日向夏ドレッシング~玉ネギ~(東国原知事認定シール付)」。日向夏って名産なのかな?ノンオイルドレッシングとのコラボレーションがお見事。この2つになれてしまうと、他のドレッシングではもの足りなくなる。

 日向夏とか柑橘類の皮って、白家具が汚れたとき掃除につかえる。油性マジックをやられても、この皮でふくとかなり薄くなるのです。

 実は私、白家具が好き。シリーズ家具じゃないと、茶色や他の色はそろえるのが大変だが、白家具はそろいやすいし、いざとなったら自分でペイントする手も。
アメリカ人はこれをよくやる。多少むらがあっても、白家具だとアンチックふうということで、ごまかしもきく。

 それと白家具って部屋がなんとなく広く見えるのだ。実家は茶色がほとんどで、どよーんと重厚だったから、その反動なのかも。子供がいたら汚れそうだが、そんなときは柑橘類の皮が出番というわけ。
 あとアメリカ人は鏡が好きみたい。うちは前のオーナーがクローゼットの扉全体を鏡にしていて、なかなか便利なのだ。地下の部屋は天井に届くような鏡がついていたのだが、ある日はずれて割れちゃった。夕飯を食べていたら、下からがしゃーんという音がして、床にくだけちっていた。ちょうどあの頃、長女がアクセルジャンプにはまっていて、その真上でぴょんぴょんやっていたからね。

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タイム・パッセージ―時間旅行

 最近になってやっとアフリエイトというものが理解できるようになった。
 私のブログで紹介された本のリンクをクリックして、読者が購入した場合、私のほうにポイントが加算されるらしい。

 もちろん収入なんかたかが知れている。1冊売れて48円とか53円とかいうのがほとんどだけど。そんなことは二の次。自分のブログをとおしてどこかで誰かが本を購入しているなんて、不況の出版界に貢献しているようでうれしいのだ。
 「PASSION」はダントツで売れているみたいだし、そこを通過して他のフィギュアスケート本も売れているようです。意外と動いていないのが野球関連。私ってベースボールライターが本職なのに。

 不況だからって、ものを買わないとデフレが進行するだけだから、本当に必要なものはどしどし買いましょう。安くなっているから、お買い得だし。私はなんだか最近ネットで本と家具ばっかり買っている気がする。

 タイム・パッセージ―時間旅行は昔からお気に入りの1冊だった。たんたんと自分のことを語っているのだが、なにげにすごいエピソードばかり。
 トリプルアクセルだけは他のジャンプと違って私は3か月がかかってしまった・・・というくだり。

 3か月でトリプルアクセルって男子でも、そうはいないと思う。

 あとザンボーニ(製氷車)がホームリンクにはなかったから、コンバルソリの練習をするのが大変だったとか。ザンボーニがなかったら、氷上はざらざらのまま。コンパルソリって氷上にトレースを重ねていく競技なのに・・・。

 それから、山田満知子先生の「あなたはサルだったのよ」というくだりに爆笑。昔はただスケートして飛んでいたら、それだけで満足していた。でも、だんだん成長していろいろなことを悩み、考えるようになった。
 これはすべてのスケーターにあてはまるかも。
 うちのサルも昔はただ楽しくって、はしゃいでいたけど、今は日本語もかなり聞き取れるようになり(漢字はだめだけど)、考えたり、悩んだりするようになった。とりあえずスケートはしばらくつづけるそうだ。
そうそう、石野陽子主演の「伊藤みどり物語」がyoutubeでアップされているのを発見。夢中で見ていた。

 とはいえ、この本は私の手元に今はない。家の外に持ち出していないから、絶対どこかにあり、何度もさがしているのだけれど、見つからない。
 ほんと、靴下の片っぽと「タイム・パッセージ」だけは、家の中に異次元空間があって、どこかに消滅しているとしか思えないのだ。

 中古では安く売っているみたいなので、買いなおそうかと思っている。この1円という値段とは別に送料と手数料が加算されているから、同じこと考えている人は気をつけてください。それにしたって、安いけど。

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なまいき始め 私の転職・留学物語


とても読後感がいい本だった。
岸本葉子さんがエッセイストになったいきさつを知らなかったのだが、デビュー作の「クリスタルはきらいよ」は読んだ。
 当時は「冷たい夏」というタイトルでドラマにもなった。彼女は2歳年上で、4年大卒だから、短大出の私とは就職活動の時期がだぶる。
 彼女はNHKを熱望しているのだが、生命保険会社に入るのだ。
 その就職活動を原稿にしたら400ページになり、岸本さんは本にしてもらうため、OL業の傍ら出版社に売り込む。その方法が本屋さんにいって出版社の名前を調べ、電話をかけるという地味なもの。実践短大卒じゃ無理だが、東大卒ならあちこちの編集部にいるから、何かコネがありそうなものだけど。

 あの頃はパソコンじゃなかったから、400ページもの原稿になると、コピーを取るのも大変なのだ。
 
 私は在学中に書いた原稿をロッカーに入れっぱなしだった。卒業するときふと思い立って、オール読物編集部に送りつけてみた。
 すぐに送り返されてきて、「もちこみ原稿は原則としてお断りしています。オール読物の新人賞に応募してください」という丁寧な手紙が添えられていた。
 コピーをとっていなかったから、送り返してくれなかったら、あのままうずもれていたのでしょう。
 といっても同社の新人賞はページ制限が30枚かそこらだったと思う。

 「文藝」はたしか350枚だった。いちいち数えないだろうと思い、応募した。事実、受賞と出版が決まった後、ページ数が多いことに担当編集者が気づいた。が、とくに問題にはならなかった。
 のどかないい時代でした。ライター不足で、どこの出版社も書き手をさがしていたし、今とは大違い。
 そんな日々を思い出させる本だった。

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濡れ衣

ブレードを新しいものに変えてから、長女は調子が悪く、はじめて「もうスケートをやめようかな」と言い出した。 
 親としてどうアドバイスしたらいいものなのか。
 正直やめてもいいと思うのだ。
 まだ若いのだから、他に興味のあることが見つかるかもしれない。
 勝ち負けはともかく、1つのことをコツコツつづけるって、とても価値のあることだ。でも、とてもむずかしいことだもの。

 どういうタイミングなのか、今頃になって解雇したコーチのデニスから謝罪のメールがきた。アメリカ人女性が謝罪するって、実に珍しいことだ。
 子供ってコーチの言うことは丸ごと信じてしまうからねぇ。
 
 長女にはAという、スケート友だちがいた。日系アメリカ人なので、日本語はまったく話せないが、小さい頃から仲良しだった。
 そのAがアイポットを盗まれた。デニスや他のお母さん2人が何も証拠がないのに、うちの子が盗んだと決めつけ、大人3人対子供1人で、6時間ぐらいせめたて、「盗んだ」という自白を強要させた。Rの母親なんて「これであなたのスケーティング・キャリアは終わりよ。ジュビナイル・ジェイル(少年院て訳せばいいのかな?)に行きなさい!」と叫んだそうだ。

 その間、携帯電話をとりあげられて、長女は私には連絡ができず、終わってからわんわん泣いて「私は絶対にやっていない!」と電話してきた。私はすぐにデニスに「そんなわけがない」と言ったが、デニスは「残念ながら彼女がそれを認めたのよ。」「私は4人の子どもを育て、そのうち2人は何度もカウンセラーの世話になった。だから、彼女の目をみればわかるの」「もう6時間も彼女と話をしたから、疲れた。この話は終わりにしたい」とまあ、こんな感じだった。

 実はその数日前、いつも練習しているリンクの事務所に、日本から電話が入り、「その子はものを盗むから、レッスンしたり、練習をさせないでくれ」という告げ口があった。そのときはデニスも「クレージーなスケートママはどこにでもいるのにね」と笑い飛ばしたのだが、結局はそれが頭にあったらしい。
 
 そして、うちの子をリンクから追い出した後も、不思議なことにデニスの生徒たちの間では盗難騒ぎはつづいた。
 デビッド・サンティーはこの件でかんかんに怒り、「オレは6歳のころからミッキーを知っているんだぞ」とデニスに抗議してくれた。
 が、しばらくはデニスも頑固だった。自分の生徒たちに「あの子はdisorder(障害者)だから、ものを盗む。カウンセラーに行ったらなおるはず。私の息子もそういう傾向があったけど、カウンセリングに行ったら直ったもの」と話したそうだ。
 
 しかし、日本の公式戦に出場しているのとほぼ同じ時間、いったい全体どうやって米国シカゴでものを盗むというのだろう?
 結局デニスといっしょにいちばん責めた母親の娘のRがあっさりと「私が盗った」とカウンセラーに話したそうだ。
 もともと兄にその傾向があり、同じカウンセラーにつれていったのだ。

私は紹介されたカウンセラーには連れていかず、ホームドクターに相談し、長女と1対1で話しあってもらい、「この子は悪くないんだから、カウンセラーには連れていかないほうがいい」と言われたときは、涙がとまらなかった。「中西部で日本人が生きていくことのむずかしさを感じた」とも言われた。ドクター自身、小学生のときロサンゼルスにきて、苦労して医者になった人だ。亡くなった父上はロサンゼルス・ドジャースの日本人球団幹部一号だった。

 日本からわざわざリンクまで電話してきたお母さんと私はもめた記憶はなく、1年半以上も会っていない人だった。私のことが嫌いだったのかな。それなら私のことを攻撃してくれたらいいのに、どうして中学生なんかをターゲットにしてしまったのだろう?
 うちの子にしてもそのうちの娘にしてもRにしても、正直いってトップレベルどうこうじゃないのですよ。2回転ジャンプを6種類ノーミスで飛べるか、飛べないかのレベル。上のほうにいる親子はもっと違う方を向いているのだから。

 長女はあの件で、自分も上のほうへ行きたい、と考えたらしい。「やめる」なんてまったく考えなかったらしく、びっくりするほど精神的に強くなった。西日本のときは最終グループに入ったので、上手な子たちと仲良く話ができたそうで、すごく喜んでいた。 
 神さまがくれたプレゼントだったのだと思う。

 正直disorderという言葉が、私にはボディ―ブローのようにこたえた。打ちのめされたと言っていいだろう。障害者だと言われたのは、長女の責任ではない。理由は全部、母親である私にあるのだ。

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原監督の思い出

 そういえば、数日前、斜め前の家に泥棒が入ったそうだ。おまわりさんから説明を受けた。そこの家だけ防犯カメラとかなかったし、犬も飼っていなかった。
 防犯用の催涙ガスは車と家用を買ってある。スタンガンも買っておいたほうがいいのかなぁ。
 まわりの人に聞くと、催涙ガスを常備している人が多く、携帯スタンガンをもっている人もいるにはいる。でも、夫婦ケンカのときつい夫に使ってしまいそうになるから、普段は手が届かないところにしまってあるそうだ。

 いやはや、ぶっそうな世の中になりましたこと。
 
 スポーツ新聞も前は選手の結婚式とか、オフ情報として日程を細かく載せていたのだが、載せると泥棒さんが入る入る。近鉄の西本監督の家なんか、何回入ったかな。近鉄の選手が結婚するとなれば、監督が奥さんと一緒に出席しないわけがない。
 
 野茂英雄が最初にスポニチと大げんかしたのは、新居の間取りをイラスト入りで掲載されてしまったから。
 あれは「シーズン中は嫁さんだけが留守番しているかもしれないんですよ。間取りなんか書かれて、強盗でも入ったらどうするんですか!」とあとあとまで怒っていた。

 私もある時期から時間差でブログには出張のことを書くようになった。

今現在のことは別なところで書くので、宮崎の思いでを少し。はじめてこの地を訪れたのは、22歳の2月。1か月前に東亜燃料を退社したばかり、前年の3月に実践短大を卒業したばかり。社会人としてのも常識も、ライターのとしてのノウハウもあるわけなかった。

 子供のために書き残しておくけど、私は出版社勤めとかの経験がない。
 星野仙一投手のファンで、短大のときミニコミ紙の「星野新聞」をつくっていて、当の星野さんから電話がかかってきた。当時「サンデースポーツ」という番組でキャスターをやっていて、「遊びにきなさい」といわれ、スタッフの皆さんとか、紹介していただいた。
 そのミニコミ紙の連載していた小説「勝利投手」が、短大を卒業して半年め、文芸賞にノミネートされた。
 まもなく星野さんが中日ドラゴンズの監督に就任し、予言小説みたいに言われ、「勝利投手」は売れ、東映アニメにもなった。私には本や雑誌に原稿を書く仕事がいっぱいきて、紆余曲折があり、今日に至っているわけ。to make a long story shortとはこのことやね。
  
 いきなり仕事として、はじめてプロ野球のキャンプめぐり。あわてて作った名刺をはじめて渡した第一号が、原辰徳選手だった。東京中日スポーツの企画でインタビュー記事を書くことになり、ビギナーの私でも取材しやすい選手ということで原になった。なんでも原の妹が私に似ていたらしい。
 あれから22年がすぎたというのに、肩書きが選手から監督になっただけで、原さん、まったく顔が変わっていないんだもの。男にしておくのがもったいないぐらいだ。

でも、私は知っている。彼が新聞をめくりながら「”音楽のたべ”ってなんだろうね?」と読んでいたのを。それを言うなら、「音楽の夕べ」。

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またまたびっくり

うーん。最近はなかったから、完治と思っていたのに、ひさしぶりに夕方から片頭痛。ひさしぶりのせいか、アドビルが効いて、割れるような痛みは避けられたけど。長いドライブが多かったからかな。来週もその予定だ。やれやれ。
 
 それともパソコン?

 今週はパソコンに向かう時間が長かったから、眼精疲労があったみたい。2時間ごとにストレッチかヨガをすると、だいぶ疲れが違うのだが、ついつい3時間ぐらいが経過。ともかく数字は苦手なので、領収書を仕分けしているだけで頭痛してくるのだ。税金ソフトに向かいながら、もう1台のパソコンで、DVDをみまくっていたから、よけい疲れたのかも。

 やっぱりパソコンより紙媒体のほうが心がやすらぐ。
 新しい本を読むのは面倒なので、つかこうへいの「腹黒日記」や山下洋輔さんの「旅日記」に目をとおした。ともかく2人ともエッセイの名手なので、そういう原稿のしめきりをかかえているときは、読まないようにしている。ついつい影響され、ひきずられ、ただでさえもまずい自分の文章がぐちゃぐちゃに散乱してしまうから。

 つかこうへいさんが特別に許可してくれた生ビデオを思い出し、取り出してみた。富田靖子主演の「火龍伝」。これはすごい作品だったなぁ。
 いちばん衝撃を受けたのは、やはり「蒲田行進曲」だったが。舞台のほうの主演は根岸季衣さん。今はブルースシンガーとしても活躍されているそうだ。
 夫は失礼なことにせっかくライブにきてくれたのに、根岸さんを知らなかった。まあ、知らないものは仕方ないか。彼は高校からずっとアメリカだから、芸能情報はまったくだめ。石野真子は長淵剛と夫婦だと信じ込んでいた。
「うちの親は「澪つくし」でファンだったから、サインほしかったのに!」と文句いったら、根岸さんは後で私の親宛に郵送してくださったのだ。ご自分のCDつきで。とっても感謝。
 
 山下洋輔さんの新刊がほしくなり、またまたネットショッピング。
 ご自身のブログがあるのも発見して、ついつい頭痛を忘れて読みふけってしまった。
 あれー、私のことも書かれている!まったく知らなかった。1999年・・・。 
 http://www.jamrice.co.jp/diary/1999-06.htm

そうそう、これは野茂がマイナー契約のままカブスを解雇された日のできごと。ちょうどメッツがシカゴにきていたから、バレンタイン監督に野茂の件でコメントをもらい、その後で当時メッツだった吉井投手の話をとろうとしたら、えらく早いご帰宅で・・・。なんと夫のライブにボニーヤと出かけたとか。
 しかもその場に、山下洋輔さんもいらっしゃったとか。

 シカゴの日本人社会が狭すぎるのかな。
 なんだか私のまわりって、こういう偶然の出会いが多い。
 いろいろ面倒なところはあっても、あの夫と結婚したおかげで、退屈をする暇はなかった。それはもうたしか。たまには退屈してみたいよ・・・なんて心にも思っていません。

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あら、びっくり!

 あっと驚くためごろー!
 なんと  
はもう重版がかかったそうだ。自分の書いたページしかまだ読んでいないから、届くのが楽しみ!書店からの注文が殺到したため、ライターへの発送が遅れているとか。
 本屋がどんどんつぶれている時代なので、そんな景気のいい話はひさしぶり。アマゾンではオバマ大統領より上の順位(8位)だったもの。すごいぞ、ニッポン男子たち。オバマさんに勝っちゃった。(なんてね)

 2月は税金の季節。数字の計算と事務ワークを苦手とする私は、どうもここ数日は現実逃避モードなのだ。ブログの更新もひんぱんでしょう。(笑)パソコンを広げ、領収書と苦闘しているのだ。作業自体は単調でつまらない。
 いかん、いかん。
 週末に終わらせないと、予定がつまっているのだ。

 なのに、さっきまで紅茶染めをやっていた。お年ごろなのでアンダーウェアひとつをとっても、細かなところでうるさい。やっと自分にフィットする形を見せたのだが、ベージュが売り切れ。仕方がないから紅茶で染めることにしたのだ。
 最初は「え、紅茶ってあの紅茶?やだ、そんなの」
 と不満そうだったが、「何jを言っているの。中庭さんはコスチュームつくるとき、茶色は紅茶で染めるんだってよ。(ホントの話)」と言ったら、「やっぱり染めてくれる」と言い出した。親の威厳も何もあったものではない。

 わりといい感じで染まった。紅茶だけだと赤っぽい茶色になるので、玉ねぎの皮もまぜてぐつぐつと10分ぐらい煮込み。塩水につけて一晩でできあがり。

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車の思い出

 今までメインで使っていた東芝ノートパソコンがおかしくなり、秋に富士通のFMVを買った。ウィンドウズVISTAになれるなら、シーズンオフ中がいいと言われていたから。
 無事に使いこなせるようになると、東芝ノートがすねてしまったのか、それまでだましだまし使っていたのに、まったく起動しなくなってしまった。
 いよいよ寿命かと思い、しばらく放置していた。が、修理屋で見積もってもらったところ、内部でケーブルがはずれていたとか。10ドルで完璧になおった。ラッキー。

 楽天をやめてココログに引っ越したのは、一人で3つまでブログをもてるし(有料)、1冊単位で自費出版ができると知ったから。
 過去の原稿やブログを整理して抜粋し、とくに家族の成長記録は別な場所で少しずつまとめて、本という形で残しておこうと思っている。
 メールマガジンも過去の原稿を整理して再録しておきたい、という目的も含んでいるので、バックナンバーという形ではネット上におかないかも。この点は少し迷っているところ。

 さて、それでどうでもいいことだが、原稿を読み返していたら過去の男ではなく、過去の車についてふと思い出された。アメリカでは車なんて単なる足。
 アメリカの3大大手自動車メーカーが経営破たんしていて、自家用ジェットや列車でワシントンに行き、せっせと政府に援助を働きかけているのは既報されているとおり。
 しかし、正直いって多額の資金を税金から回したところで、立ち直れるのかどうか?アメ車はレンタカーでは何度か乗っているけど、自分で買う気にはなれない。アメリカ人の友だちだって、お金もちとかスケートのコーチはBMWとかキャデラックとかポルシェにこだわり、フォードとかオートモービルに乗っている人はみかけない。
 僻地を深夜一人で移動しているとき、車がとらぶったりすると、取材のスケジュールは狂うし、場所が場所だったら命だって危ないいもの。
 
 これを活字にするのは非常に危険なことだと理解しているから、さすがに英文で書く勇気はないのだが、事実なのだから仕方がない。
 セシル・フィルダーがホームラン記録をぬりかえていた頃、デトロイトにはしょっちゅう取材に行った。NBAでも行ったし、木田投手や野茂投手も在籍した時期がある。
 古いタイガースタジアムはダウンタウンにあり、ほんの数百メートルはなれた安ホテルに泊まっていた。トコトコ歩いて球場を往復すると、ホテルの人やいろいろな人から「一人歩きは危ない」と注意された。かといって、タクシーやレンタカーで往復するような距離ではないし、あの頃は今と同じで取材費が乏しかった。
 野茂がデビューするまで、「大リーグなんて取材しても金にならんよ」といつも言われていたもの。
 だから、テレビのコーディネイターをやったり、JALの機内誌とか、いろいろなことをやり、行く先々で大リーグを取材していたのだ。

 さて、デトロイトはフォードをはじめとした車の町。当時は日本車のせいで傾き、目抜き通りも空き家ばかりでか、かなり廃れた雰囲気だった。日の丸を燃やしたり、日本車をこわして、燃やすイベントもしょっちゅう行われていた。
 日本からきた駐在員一家もあの頃はアメ車に気をつかい、2台もつのなら一台はフォードにしたりするのが普通だった。
 1990年前半は車の保険屋さんから、「スバルと三菱は保険料がどうしても高くついちゃうんです。戦争のときゼロ戦をつくっていた会社だから、差別されているんですよ」
 なんて言われたりもした。今はそんなことはないらしいけど。

 日本でのファーストカーはホンダのアコード。私名義だったが、これは父の車。たしか「勝利投手」がベストセラーになった年、うちに来た。父は雨の日には乗らないぐらい大事にしていて、メーターはいまでも2万キロ台。「人生ではじめての新車」なんだとか。今でも実家にある。健在なり。

 もう一台は軽自動車でホンダのトゥディ。これはよく使った。山口県の実家「梅田商会」がたしかホンダ関係だったから、あまり何も考えず、ホンダにしていたのだと思う。高校と短大のときの愛車もホンダ・タクトだった。
 日本はアメリカ違って車検があるから維持費が大変。アメリカを拠点にするようになり、妹が乗っていたが、その後で廃車にした。

 シカゴではリグレーフィールドの近くに住んでいたから、最初の1年半は車なしの生活。車がいるときはオダちゃんに頼んだりしていたから、夫より、もちろんヨッシーより長い付き合いなんだな。
 結婚したとき夫が所有していたのがボストンで買った中古のスバルだった。たしか1500ドルと聞いた。車体はボロボロで、雨もりもすごかった。「たまにはワックスもぬったら?」と言ったら、窓ガラスにもワックスをぬっていた。「やっぱり社長の息子ってのは、庶民とは感覚が違う?」と感じたのは、あの一瞬だけ。他の面ではバリバリの庶民だった。
 当時のアメリカは景気がドン底で、町中もそんな車ばかりが走っていて、めだたなかった。
 これは後に某ギタリストにあげた。数か月はもったみたい。

 次に帰国する学生から3000ドルで譲り受けたのがボルボ。これはエンジンはさすがに頑丈で、よくもった。ただし、ボディの真ん中に銃跡みたいな丸い傷があったし、冷房がついていなかった。窓をあけて走るようにしていたが、赤ちゃんだった長女は信号待ちになると、うわーんと泣いた。暑かったのだろう。でも、あの頃の私はダイエットしなくても、やせていた。(遠い目)

 夫婦ではじめて新車を買ったのはプリモスのボエイジャー。10件ぐらいのディーラーをまわり、ミニバンの中ではいちばん安かったのだ。たしか1万5000ドルぐらい。日本車はだいたい3000ドルぐらいアメ車より高かった。それでも修理の回数を考えたら、日本車のほうがとくだと気がつかせてくれた。10万マイルをこえたら、道の真ん中で、すーとよくエンジンがとまるようになり、困った。
 修理やにもっていっても「どこも悪くない」と言われるし。
 
 次に買ったのが、ホンダのCR-V。これは見栄えも中身も最高にすばらしかった。価格もお手頃。シカゴではホンダのオデュッセイが人気あるみたい。
ただし、ホンダとトヨタは自分ところの車に、自信とプライドをもっているから、せいぜい500ドルぐらいしか値引きしない、

 ボルボも10万マイルをこえ、修理費がかさむようになったから、某日本人学生にあげてしまった。
 一般にアメリカでは10万マイルをこえたら年間2000ドルまでメインテナンス料がかかると言われている。日本車だとこれが15万マイルこえるまで大丈夫、とも。
 ツインズのカービー・パケットもそう言っていた。彼は大リーグで成功する前、シカゴで中古車の修理ショップで働いていたから、値引きのコツとかよく知っていた。

 ボエイジャーをホンダにもっていったら500ドルで下取り、トヨタは1500ドルと言ってくれた。「アイチというところで組み立てた車だ」という言葉にひかれ、トヨタのエコーを買った。日本ではヴィッツという名前らしい。
 人生ではじめて車のローンがおりた。自由業ってなかなか人間扱いされないから。
 ローンは終わったけど、エコーはまだ健在なり。

 ホンダCR-Vも10万キロをこえた頃、雪の日に夫がぶつけられた。向こうから保険金が支払われたので、中古のマツダMPVを購入。健在なり。

日本のトゥディは廃車にしたが、ダイハツのエッセはもっている。日本は車検があるから、維持が大変だわ。軽自動車のほうがいいね。

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まったくもう・・・

中川前財務相が辞任。ちょっと叩かれただけで弱いなぁ。
ただやっぱり中川さんは、まずかったかな。
 欧米人は飲酒と喫煙と体重コントロールには厳しく、自己規制ができてないと判断してしまう。マリファナにはすごく甘いのに。オバマ大統領だって、若き日のあやまちとしてマリファナのことを告白しているが、誰もたいして問題にしなかったもの。
 シャーロック・ホームズの原本をネットで見つけたから、なつかしくって読んでいるけど、ホームズはコカインばかり吸っている。

 それにしても、毎日新聞の記事はへんだった。気持ちが悪い。
「女性記者」「女性記者」「女性記者」って・・・、
「新聞記者」じゃだめなのだろうか?いちいち「男性記者」とか「女性記者」とか、性別を書く必要ないと思うのだが、何を意図しているのだか。

 「ブッシュ大統領に”男性記者”が靴を投げた」なんて事は書かないでしょう?ちゃんと裏をとった事実ならば、記者の名前を書くか、イニシャルにすればいいのに、私憤でもあったんじゃないかと疑いたくなる。

 「女性記者」は一緒に飲んだのにどうして中川さんをとめなかったのか、と批判したいのだろうか?新聞記者はベビーシッターでも家庭教師でもないよ。財務大臣相手に、「お酒はもうおやめになったら?」なんて言えるわけないし、言う義務だってない。

 あ、でも、私はマリファナとかコカインのことは、たまに選手に説教する。マイナー落ちしたり、ハイソサエティなパーティーでは(ドライド・グッデンだってVIP級のバーティーにドラック・ディーラーがきていて、誘われたと自伝に書いている)意外と簡単にまわってくるから。大リーガーとか日本人留学生とか、お金もっているから売人にとってはいいカモなのだ。
「誘われても、絶対に手をださないように。日本人の場合は簡単に強制送還になるから、はめられないようにね」
 
 だいいちその「女性記者」は記者会見を記事にできないほど、べろべろに酔っぱらったのだろうか?
 昨日書いたヨッシー小池だって、カバみたいに飲む。それでも、ちゃんと仕事する。二日酔いだろうとなんだろうと、そんなのは仕事人として当然のことだ。

 そういえば、「小池さんの本、ほしいな」
 と長女が言うので、本屋に買いに行った。日本語の本をほしがるなんて、本当に珍しいことだから。
 とはいうものの、どのジャンルに属す本なのかわからないから、さがしようがない。スポーツ?フード?
「店員さんに聞いてよ、ママ」
「えー!」
 仕方ないから聞いた。
「あのー、新刊をさがしているんですけど」
「はい、なんという題名でしょうか」
「あのー、ヨッシー小池の世界満腹紀行
です」
 なんだかちょっと口にするのが恥ずかしくなるような題名で、店員さんも「はあ」と笑っていた。本棚に並べると題名がわからなくなるから、普段はカバーをつけてもらわないのだが、今回はつけてもらった。

「あ、ママ、オダちゃんがでているよ」
「ホントだ。ははは」

 しかし、いきなりオダちゃんが登場したって、うちはともかく、読者に意味が通じるのだろうか?
 ドラコミのサノさんまで!
 尾尾尾さんも!(爆笑)
 
 200店ぐらいは出ているから、それぞれの店が10冊ずつ買ったとして、2000部は確実にさばけそう。
 関係者の写真も意味なく200人ぐらい載っているから、その人たちが10冊ずつ、家族がさらに数冊は買いそうだから初版は軽くさばけるな。
 
 まんまと小池さんの戦略にはまったような気がする本だが、980円の価値はあった。(負けおしみ!?)
 ラーメンのおいしい店が紹介してあるのがうれしいし、私とは取材先がだぶるから、便利だ。行ったことがある店も多いけど。
 野球選手が行く店とかなりかぶっているから、そういうのに興味ある人はどうぞ。

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「世界満腹紀行」ですと?

 ヨッシー小池の世界満腹紀行
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 今回はやや辛口でいきます。ヨッシー小池なんていう、ふざけた名前を目にしたら、辛口にならざえるないでしょ。

 3月1日発売とあるから、もう出版されているのだろうか?
 買ってください、と言われても、なんで今さら小池さんの大食いぶりを・・・この本から何を学べというの?
野球かサッカーかNBAを現場で取材していて、彼の伝説を知らない人間はいない。

 たしかに松坂も岡島も小池さんのブログは喜んでみているが、買う?

 しかし、980円という定価にはびっくり。写真集はいい紙を使わないと作れないから、どうしても値段が高くつく。だから、日本では写真集は売れない、と言われている。
 前に紹介した「PASSION」もクオリティは何も心配していないが、値段がね。
 順調に売れているらしいから、心配していないけど。いきなりアマゾン10位ってすごい。

 しかし、この980円てすごいなぁ。1980円の間違いじゃないの?A5サイズで、151ページ・・・。もってけ、泥棒!って感じの価格だ。
 
 小池さんはマイケル・ジョーダンが引退する年、シカゴに住んでいた時期もある。(というか、うちが大家だった。今の家に引っ越したとき、前の家を売るまで1年ぐらいもっていたから。家族や編集者を泊めたり、庭でバーベキューパーティーを開いたり・・・。それはいいんだけど、月300ドルで電話と家具ごと貸していたのに、「僕にもミエがありますから」といって、月3000ドルの家賃なんて人には言っていた)。その後も半分は住んでいるというか、某君宅にいそうろうしているようなものだ。
 私も宮地さんも決してケチな人間ではないと思う。でも、小池さんと食べて、割り勘というのは、「なんだか納得いかないよねぇ」と本人を前にして不満を口にしたこともある。それぐらい量がすごいだもの。
 私も宮地さんも一時期はしょっちゅう携帯電話で「空港のカウンターにいます。通訳してください!」とか「どこそこにファクスしてください!」と頼まれていた。私ら編集者じゃないのに・・・。
 それでいて、「この前、与田(剛)との食事をセッティングしてあげたじゃないですか。今日はおごってくださいよ」なんてむちゃくちゃを言う。
「げ。あれは与田くんが呼び出してくれたんじゃない。あそこの夫婦と私は昔から知り合いなのに、どうして小池さんにセッティングを頼む必要があるんですか!」と私。(ね!そうだよね、与田くん!!!WBCで読んでないか。)

 出版社によって違うはあるけれど、出張中とか打ち合わせを兼ねた食事会は経費をだしてくれるところが多い。否、多かった。
 が、しかし、小池さんの食べっぷりは業界で知れ渡っているから、「小池さんは勘弁です。例外です」というところが多く、ナンバー編集部なんていちばん最初にそう言いだした記憶がある。編集後記のところで、「巨大な胃袋の持ち主」と書かれていたこともあった。
 ブログは原稿料がでているらしいが、食費は「自腹」でしょう。
 
 そんなかんや「欲」の問題があっても、仕事の波がたえまなく押し寄せるのは、仕事ができるから。これは間違いなし。太鼓判!(タイコバラって雰囲気だけど)
 小池さんはナンバー編集部の草野球チームで、ノーヒットノーランを達成した実績の持ち主。対戦相手は講談社のフライデーだったかな?あ、仕事じゃないか。でも、小池さんの撮る写真には、彼ならではの運動神経とタフネスぶりが生かされていて、女性の美しいポートレイト写真はともかく、プレイ中の決定的な瞬間をとらえた写真となると、他の追随を許さないものがある。変化球の握りに焦点をあわせた写真とか、なかなか撮れる人がいないのですよ。へアヌードとかで超有名な大御所フォトグラファーが、野球選手のカレンダーを作る企画があり、アシスタント2人をつれて3人がかりで撮影してもだめ。小池さんには素直に脱帽していた。
 調理師からフォトグラファーに転身したそうだが、だからといって、スポーツカメラマンの第1写真集が「世界満腹紀行」ねぇ。はぁ。
 たしかに彼が焼くステーキは絶品で、さすがはプロという味付け。

 他にもいろいろ暴露したい話はあるのだが、このへんで抑えておくことで、出版祝いに替えさせていただきます。

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PASSION 2009―フィギュアスケート男子シングルフォトブック


ずいぶん長くつづいていたラジオ番組のレギュラーが終わってしまい、とても残念。ギャラは安かったけれど、ときどきはドラゴンズの選手と話しができて、愛着もあった。

 ラジオもそうだし、テレビだって雑誌だって広告が生命線。
3月には派遣社員が切られるだろうし、失業者の数が増えたら今よりもっとものが売れなくなるだろう。たぶんものが売れなくなり、4月以降はいろいろなものが値下がりするんじゃないかな。しつこいけど、デフレのスパイラルだ。フィギュアスケートのスパイラルと違って、ちっとも美しくない。
 
 今日ここで紹介するフォトブックは、青嶋ひろのさんプロデュース。彼女と私は長年、非常に仲が悪いのだが(みえすいた大ウソですな)(笑)、そんなことはどうでもよく、売れてほしい本。
 今の時代、どの系統のどの本がどこでどれぐらい売れたか、すべてのマスコミ媒体にデータとして出回りますからね。売れたら後がつづくし、売れなかったらジ・エンド。
 広告代理店だって、そう。どこの誰が表紙を飾った雑誌が売れているか、その数字がデータとなり、CMやテレビ番組が決まる仕組みになっている。
 安藤美姫が表紙を飾ったナンバーが爆発的に売れたから、CM依頼が殺到したものだもの。
 かつてのマイケル・ジョーダン、野茂英雄、イチロー、三浦カズ、中田英寿をはじめとしたJリーガーたち、流行はそうやって作られたのだ。

 ナンバーがはじめてNBA特集を組んだとき、マイケル・ジョーダンを表紙に使えなかった。チャールズ・バークレーのPR担当者がやり手で、インタビューに応じる代わりに絶対にバークレーを表紙にすることを条件に出してきたからだ。
 アメリカのエージェントたちはよくこれをやる。
 雑誌の表紙を飾ることがステータスの証で、海外の雑誌ならなおさらのこと。

 ラジオだけではなく、長くつづいた夕刊紙のコラムも終わってしまった。というか、会社そのものがやめてしまったのだ。
 どちらも10年以上つづいていたから、寂しいといえば、寂しいけど、意外とおちこまなかった。
 私の仕事は最初の10年が日本のプロ野球中心、次の20年はシカゴを拠点にNBAと日本人大リーガー、40半ばからはまた違う試み、実は50代もやりたいことが頭の中ではもう決まっている。
 そういうプランもおいおい書いていきますね。どうかぼちぼちお付き合いください。

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メールマガジン試運転

 まぐまぐに承認されたそうです。
 野球の開幕に焦点をあわせ、ぼちぼちテストではじめてみるつもりでいます。
 題して「梅田香子のシカゴ・スポーツ風雲録」。
 山下洋輔さんの影響をもろにうけたタイトルですね。(o^-^o)
 もちろん無料マガジンですから、気軽に申し込んでください。
 ご意見、感想、批判、提言もウェルカムです。

カテゴリ: スポーツ・アウトドア 野球 メジャーリーグ
米国シカゴ発のスポーツ情報!
http://www.mag2.com/m/0000283581.html

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スパイラル違い

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 不況になると、すぐにカットされるのが企業スポーツ。
 短絡的である。長い目でみたら、不況の今でこそスポーツが大切であり、教育に力を入れなくては、先々が大変になってしまうのに。
 派遣社員だって簡単に切ってしまったら、失業者があふれ、誰もものを買わなくなってしまい、企業は自分で自分で首をしめてしまうはず。
 いわゆるひとつのデフレのスパイラルだ。これがフィギュアスケートのスパイラルと違うことぐらい、私だって理解できる。
 
 オバマ大統領も不況の今だからこそ教育に力を入れる方針で、「Champions for Art and Culture」というプロジェクトを組み、来期から授業数を増やすそうだ。

  プログラムは去年と同じ「火の鳥」なので、コスチュームだけ新しく先生にデザインしてもらい、せっせと縫ってみた。
 長女は将来スケートのコーチになりたい、と言っている。もちろんアメリカで。アメリカ人ですから。(笑)日本のスケート教室はどこも希望者であふれているけれど、リンクの数が少なすぎて、大変そう。

 小さい頃から知っているジョシュとジョーダンがコーチになり、商業的(笑)には成功しているから、刺激になっているみたい。
 ジョシュはコミュニティカレッジに通っていたのだけれど、ジュニアのときリジョナル(ブロック)4位で通過したのが評価された。シカゴ郊外で全額奨学金をだす私立大学がみつかり、そこを無事に卒業した。
 リジョナル4位といっても、その年エントリーしていた男子が4人だったのは、もはや伝説。(笑)ジョシュはトリプルはなく、ダブルアクセルもめったにランドしなかったから、シニアにはあがらなかった。

 フィギュアスケートの男子は競技人口が少ないから、ジョシュみたいな成功例はさほど珍しくない。
 私立大学の授業料は400万円前後かかるから、フル・スカラシップをとるなんて、ものすごく親孝行な話だ。
  父親はいなくて、母親はチームでバレエの先生をやっているから、私の長女は昔から世話になりっぱなし。
 ジョシュは大学を卒業すると、デビッドのアシスタントコーチ兼秘書になったから、生徒はたくさんついた。
 シカゴの場合スケートを習うってのは、日本でいうピアノを習うのと同じ感覚。
 いい大学に行こうと思ったら、勉強だけでオールAをとってもだめで、スポーツとボランティアで実績を残した証明が必要なのだ。
 ジョシュのレッスン料は20分18ドルだけど、生徒の数はたくさんいるから、それなりに稼げるはず。
 ティモシー・ゲーブルは大学が休みのときだけコーチをやっていて、30分64ドル。なんといっても、ソルトレイク五輪の銅メダリストですから。

 おととし、25歳になったジョシュは自分で住宅ローンを組み、コンドミニアムを買った。同じチームのローレンが大学を卒業するのを待って、結婚する予定だ。ジョシュもローレンも昔から知っているので不思議な気分だが、5年前だったかなぁ、リンクの2階、バルコニーのところでキスしていて、それ以来、公認っぽくなった。
 ローレンは大学の後、メディカル・カレッジにすすみ、スポーツドクターになる予定。

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ひとりごと

 もし日本に大統領選挙があったとしたら・・・・

麻生総理のことは嫌いじゃないだけで、べつに好きではない。
 小沢さんはちょっと。田中角栄の子分だったイメージが強すぎて・・・。
 鳩山由紀夫はいちばん頼りになりそうかな。

 そして、私もシカゴ市民のはしくれ。
 やっぱりヒラリー・クリントンは好きだし、バラク・オバマの当選もうれしく思った。

 ホワイトソックス以外に、オリオールズからも始球式のオファーがきているそうで、どちらを選ぶのかなぁ。
 大統領が野球場にくると、セキュリティが大変なのだ。至るところに金属探知機とセキュリティが立ち、報道関係者も移動のたびに荷物チェック。まあ、大切なことなのでしょう。何か間違いが起きて、容疑者にあげられても困るから、しっかりチェックしていただきたい。

 そういえば、何年か前、日本でバッジテストを受けるとき、リンクのロビーにいたら先生や職員がパタパタと玄関の外にでて、デパートの開店前か何かのように階段の両端に並び、直立不動の姿勢から全員が深々と礼。何かと思ったら黒いピカピカの車からやんごとなき小学生がでてきて、これから練習するところであった。
 もちろんセキュリティ付き。
 うちの長女と同じ年齢なので、練習では一緒になったことがあるが、急は少しうちのが上だったので、試合で同じグループになったことはない。
 しかたがないのかもしれないが、子供自身はああいう待遇を望んではいなそう。庶民に生まれてよかったわ。

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幸せのレシピ

「I am Legend」をまだ見ていなかった長女が、一緒に借りたDVDが「No reservations/幸せのレシピ」だった。「LegendよりNo Reservationsがすごくよかったよ!」と何度も言うので、領収書を整理しながら一人で夜中に見た。うーん、たしかに、すごくよいわ。

 新しい試みは何もない、ごくごく正統派の映画だ。悲しみと笑い、家族、恋愛、哲学、仕事への情熱といったテーマがもりこまれ、映像が美しく、役者がみんな魅力的だ。
 つまり今まで使い古されてきたテーマであり、映画としてはごくごくありふれた技法なのに、どうしてこんなにもハートウォーミングなのかしら。ところどころで涙がでそうなほど、せつなくなった。
 何度でも繰り返し見て、ズィーラやケイトやニックに会いたくなる。
 
自分のことワークホリックで嫌になった時期がある。
 20代そこそこのとき、高校の友人たちがHANAKOという雑誌を見て、わざわざ都心までフランス料理を食べにいってきたという話を聞いて、びっくりした。
 当時の私にとって食事なんてものは、記者席とか打ち合わせで仕事の合間にかっこむものであり、味わったりする余裕がなかった。ましてや、食事のためにわざわざ電車に乗ってでかけていく感覚とは、かけ離れたところにいた。自分に愕然としたのである。
 なんだか一人だけ違う世界に飛んでしまったような疎外感。
 といいつつ、すぐに忘れてしまい、選手やコーチや編集者と飲みに出かけたりする毎日だった。それあそれで充実した日々だったから。

 20代30代で映画なんて見にいくことはほとんどなかった。いつも取材とアポと締め切りに追われ、頭の中はそれでいっぱい。
 ましてやテレビなんて・・・。
 イチローが古畑仁三郎を好きだといえば、一応は見てみるけど。あれってイチローが出た回以外は、意外と面白くなかったな。

 「I am Legend」といえば、カブスのリッチ・ハーデンの息子がロッカーのいちばん下の棚にもぐりこんでいたことがあり、福留孝介は「アイアムレジェントみたいだなあ」と大笑していたことあった。
 映画も見ておかなくっちゃと思うのは、ああいう瞬間だけだった。選手はけっこういろいろ見ているから話がつながらなくなっちゃう。

 恋をしたケイトはだんだん女らしい表情に変わっていく。
 ニックとの出会いは最悪だったのに。オペラ好きで、いきなり「トゥーランドット」(笑)をがんがん厨房で奏でて、ケイトをむかつかせる。
 
 岸本葉子さんのエッセイで、「おばバカ」という言葉が使われていた。たしかに姪というのは自分の子供と同じぐらいかわいいもので、ついついかまいたくなってしまいがちだ。
 ケイトは姪をひきとり、ニックと知り合うことで、人生観をどんどん変えていくのに、客にはむかう欠点だけは変わらず、むしろパワーアップしていくくだりが、痛快だった。

Life isn't always made to order.(人生はいつも注文できるとはかぎらない) 

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税金の季節

もうじきこういう季節ですね。この本は在米者にもおすすめ。フリーランスに便利な青色申告ソフト付きなので、パソコンが自動計算してくれる。
 不動産の価値とか、税率は国によって違うけれど、経費の精算にかんしてはそれほど違いはない。

 領収書を整理するのは単調でつまらないから、もう一台でDVDを見ながらサクサクを作業をすすめていくことにしている。
 長電話のときはキッチンの床を掃除しながら。
 パソコンで調べものをするときは、漫画をぱらぱらめくりながら。これは長いことウィンドウズ98を使っていた名残り。ページを開くのに時間がかかるのだ。光回線なんてアメリカでは聞いたことがない。
 テレビを見るときは必ず編み物…今はやりません。肩こりがすごいことになるから。
 他にもちょっと書きつくせないぐらいの「ながら族」ぶり。

 ブログで私がときどき読んでいるものは、やっぱり野球選手のが多い。
 現役のフィギュアスケーターたちは日本の場合、傍から見ているよりも練習や移動に時間をとられているので、なかなかブログとかもてないようだ。アメリカは別。

 もうじき発売になる「Passion」(双葉社刊)で、中庭健介選手をインタビューしたとき、エージェント会社とも契約したことだし、「ブログとか公式ホームページとか作らないの?」と聞いたら、「とーんでもない」とのこと。ファンが作ってくれるのはいいけど、自分でブログをやるとか、「ミクシィなんてやっている人の気がしれない」とのこと。
 このへんの美学はイチローに通じるものがあるなぁ。

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麻生総理大臣

 私って反感(←半官でしたな)(^-^;びいきなのかなぁ。
 麻生総理大臣は叩かれっぱなしだが、あそこまで叩かなくってもという気がしてならない。
 約8年、ブッシュ大統領の救いようがない言動にいらいらさせられてきたせいか、麻生大臣がそれほど政治家として資質が低いとは思えないのだ。抜群に冴えているとまでは言わないが、ブッシュの100倍ぐらい誠実さを感じません?

 たしかに麻生さんは問題発言もあるから、そのへんを批判するのが当然でしょうが、汚職とは違うのに、まるで犯罪者扱い。
 漢字の読み間違いにしても笑い話ぐらいにしておけばいいのに、国会の審議中にクイズみたいなことをしなくても・・・。
 とりあえず日本語と英語が話せるんだから、いいんじゃない?

 私の記憶が正しければ、英語でスピーチした日本の総理大臣第一号中曽根さん。
 そのとき私はアメリカにいたけど。中曽根さんの英語は日本ふうのアクセントが強く、ほとんどのアメリカ人が彼が英語でスピーチしていることに気がついていなかった。もちろん意味も伝わらず、結局は後で通訳してもらわなくてはならず、二度手間だったと聞いている。

 それに中曽根総理大臣は私利私欲に走り、アメリカに日本を売った張本人でしょう。
 小泉元総理だって、不況の原因をいっぱい作った。
 不況をつくったのは麻生総理ではない。
 
 田中真紀子先生の「高そうな背広を着たおじさん」発言も、どうかと思った。
 背広の値段なんて、どうでもいいのに。
 そういう田中さんのスーツも高価そうだった。
 「国民は民主党の小沢さんが政権をとることを望んでいるから、早く引退しなさい」という主張もちょっと・・・・。
 そりゃー、麻生さんに満足している国民は少ないだろうが、だからって小沢さん?私のまわりにそんなこと望んでいる人はいないけど。
 ただ麻生さんも定額給付金にかんしても、適当なところでやめておいたほうが、カッコよかったかも。
 
 坊ちゃん育ちなのは事実だから、叩かれて「僕ちゃん、もうやめるーっ」と政権を頬り出すかと思ったが、いつも笑顔で立ち向かうあたり、ちょっと見直した。
 いちばん大嫌いだったのは森元首相。醜悪でした。

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家事は(も?)手ぬき

まだ試運転モード。これは便利だったけど、リンクできるかな。

 主婦友だちと電話で話していて、びっくりしたこと。
 彼女は銀行に再就職したばかりで、男の子が2人いる。だんなさんは堅実なところでお勤め。
 「働きはじめてから、土日しか掃除機をかけていないんよ」という一言に、私はあぜん。
 「それっと土曜か日曜ってこと?それとも土曜と日曜両方に掃除機をかけているの?」
 「両方よ。仕事はじめるまでは毎日かけてたけど」
 
 それで彼女のうちは子供が2人いるにもかかわらず、いつもピカピカに片付いていたのか。
 掃除機を毎日・・・・。尊敬・・・。

 アメリカ人は週1度か2度のペースで、掃除を頼んでいる家庭がほとんど。掃除なんて週1-2度で十分だと思わっていた。いや、実際のところ、それ以下。だから、私はだめだめなのねー。反省。

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テスト中

 メールマガジンは順調に準備中。開幕を待たず、試運転はできると思います。

 楽天だとAmazonの本はリンクして紹介できないシステムになっているらしい。せこいっ!

 ちょっとここを試して、スムーズだったら、むこうはクローズしてしまうつもり。

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 http://ecx.images-amazon.com/images/I/31SBYEBVXZL._SL500_AA240_.jpgCocolog_oekaki_2009_02_12_23_15


名刺の思い出(重複)

  住所はここ10年ほど、メールアドレスは10数年、まったく変わっていないのだけれど、気分転換とニーズに伴ってときどき名刺をつくりかえる。

 今回のは過去最高にお気に入り。こういう写真を加工したものは、以前はばかみたいに高かったのに、今はずいぶんと安くなった。
 上が表で、下が裏。著作なんて昔はプリントしていなかったけれど、永谷脩さんに「あやしいヤツと思われなくていいぞ」とアドバイスされたことがある。
 それでも最初の頃は取材の現場に女なんて私ぐらいだったから、すぐに覚えてもらえたし、メジャーリーグにきてからもそう。ともかく90年代前半はライター不足で、ナンバーでもなんでも私がNFLまで書いていた。情報が不足していたせいか、「週刊ベースボール」も「ナンバー」しかなく、どちらも私がほとんど書いていたから、選手もよく読んでくれていて、「ああ、梅田さんか」とすぐに話が通った。
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 でも、最近はライターの数も増えたし、日本人大リーガーも数も増えた。野球界以外の人と知り合う機会も増えた。あやしい人物という印象をあたえないよう、名刺にも気くばりするようになった。
 しかも、私の場合、アメリカ人にもわかってもらえる名刺にしておきたい。日本用とアメリカ用でつくっていたこともあるのだが、取材現場ではそれなりに集中したいから、混乱は避けたい。
 社会人になって最初の名刺は角が丸いもの。女性は角が丸いもの、という規則があったのだ。へんなの。

 フリーになってすぐは肩書きがわからなくて(笑)、名前と住所と電話番号だけのシンプルなものを作った。何しろ東亜燃料のOL(といっても、3か月しか働いていないから、職歴と名のるほどのものでもない)からいきなりの転身だったから、「フリーライター」なんて名のるのも本もののフリーライターに悪いような気がして・・・。

 「スポーツライター」という言葉も今ほど一般的でなかった。
 友だちからは「フリーターっていうんでしょ?」とも言われたが、それは違うんじゃない?
 だから、肩書きなしの名刺が長くつづき、アメリカに拠点を移した1990年、お世話になった編集者がつくったプロダクションとマネージメント契約していたから、そこで名刺をつくってもらった。
 高田馬場の駅から徒歩1分。元「サンデー毎日」の編集者たちだったから、そこの下請け仕事が定期的にきた。鳥越俊太郎氏が編集長をやっていた時代。

 これが大大大失敗。

 「Weed」という会社名は、「雑草のごとく」という意味でつけたはずだが、アメリカ人にとっては「マリファナ」という俗語なのね。
 たしか知り合ったばかりの夫も「すごい社名だなぁ」とあきれていたし、ぎょっとする人が多かった。
 日本では誰もそんなこと指摘しなかった。学校でちゃんと教えてほしいわぁ。


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